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●仏教美術 |
1、原始小乗仏教美術・・・・シャカ関係の物語
2、大乗仏教美術・・・・・・如来及び如来を中心とした浄土世界
3、密教美術・・・・・・・・インドの神々を取り入れ、仏教的に表現したもの
4、浄土教美術・・・・・・・阿弥陀信仰による浄土や来迎の図
5、本地垂迹美術・・・・・・神仏習合によって考えられたもの
6、禅の境地を水墨画であらわしたもの
密教美術では仏だけを表現している。曼荼羅という理想的な世界の表現が中心。
※本地垂迹(すいじゃく)思想・・・「本地」は本身、「垂迹」は仏身で、仏教の仏、菩薩が日本の神となったとする思想。神の象徴の刀や鏡が御神体である神社に仏像があるのはこのため。八世紀に生まれ、十二世紀から流行した。 |
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●曼荼羅(まんだら) |
語源は梵語のマンダラで、本質を所有するものの意。多様な仏の調和ある統一世界のこと。密教では、万徳円満な仏の菩提心をいう。
八世紀末頃、仏教にヒンズー教の神が取り入れられてからは、神仏の集まりを図にしたものをいう。
密教では、浄土教と違って、理論を図式で象徴的に示している。大日経に基いた胎蔵界曼荼羅と、金剛頂経に基いた金剛界曼荼羅とがある。両界曼荼羅は、両図を対幅としたもので、真言密教の寺では東西に掛けられる。弘法大師が師の恵果から授けられて日本に持ち帰ったもの。
胎蔵界曼荼羅は大日如来の理法を表す。人は本来菩提心を持っているが、煩悩の中に隠されている。菩提心が母の胎のような大悲によって生育されるように、大日如来の理法が万物を包容するのを表現したもの。
胎蔵界曼荼羅図の源は、中国の石窟寺の壁画をはじめとする千仏。これを複雑にして、中心(大日如来)を大きく描くことで、諸仏が大日如来に統一されるという考えを表した。中心に八葉蓮華を描き、中央の蓮肉部に大日如来を描き、各葉に四仏、四菩薩を描く。四仏は、宝幢(ほうとう)、開敷華王(かいふけおう)、無量寿、天鼓雷音で、上下左右の葉に配される。四菩薩は、普賢、文殊、観音、弥勒である。この四仏は、金剛界曼荼羅の四仏と同じとされる。インドの各地法で、曼荼羅成立時に信仰されていたものとされる。
金剛界曼荼羅は、大日如来の智慧、悟りの知徳が堅固で、煩悩を砕くことを表す。
金剛界曼荼羅図は、(インド教との交流による)当時全く新しい形式の仏画であった。円と方形の組み合わせで、各仏は円の中に描かれる。九会(くえ)曼荼羅ともいわれ、九種類の曼荼羅図を三段にして、各段三図ずつ一画面にしてある。
浄土教では、観経曼荼羅。『観無量寿経』は阿弥陀の壮麗な浄土の状景を説いているが、それを描いたもの。浄土変相図ともいう。十三世紀中頃、横佩(よこはぎ)の大臣(おとど)の姫が作った織成(しょくせい。つづれおり)のものは、縁起絵巻にある。浄土曼荼羅は、極楽浄土で諸菩薩に説法する阿弥陀を中心に、菩薩、天人などが聴聞する様を、宝楼閣、宝樹、宝池などとともに描く。鎌倉時代以降多く描かれるようになった。 |
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●阿弥陀三尊 |
脇侍(わきじ)は、向って右側が観音菩薩、左側が勢至(せいし)菩薩である。来迎図は、観音は両手で死者の霊を乗せる蓮台を胸のあたりに戴き、勢至は合掌している。往生した人を迎えに雲に乗ってくるので、両脇侍とも軽く膝を曲げるのが普通であるが、早(はや)来迎といって、早い雲で来る場合は、一段と腰を落としている。極端になると、両膝を折って殆ど正座に近い形(跪座)をとる。
平安中期、浄土信仰が広まるにつれて、阿弥陀が衆生を救うために聖衆(しょうじゅ)をひきつれて人の世に迎えに来るという阿弥陀来迎の有様が描かれるようになった。 |
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●阿弥陀二十五菩薩来迎図 |
『十往生経』に説かれ、鎌倉中頃から信仰された。阿弥陀如来と以下の二十五菩薩である。
中央が阿弥陀如来。その向って右側が観音菩薩、左側が勢至菩薩である。他の菩薩は特定できないが、極楽浄土で阿弥陀仏を讃嘆供養する菩薩であり、来迎する阿弥陀に従う聖従(せいじゅう)でもある。奏楽や歌舞をして、いずれも飛雲に乗る。
もとは密教仏であるこれらの菩薩は、浄土教の仏となって、人間的な親しみを感じさせるようになった。
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菩薩名 |
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菩薩名 |
1 |
観世音菩薩 |
14 |
光明王(こうみょうおう)菩薩 |
2 |
勢至菩薩 |
15 |
山海慧(さんかいえ)菩薩 |
3 |
薬王菩薩 |
16 |
巌王(けごんおう)菩薩 |
4 |
薬上菩薩 |
17 |
殊宝王(しゅほうおう)菩薩 |
5 |
普賢菩薩 |
18 |
月光王(がっこうおう)菩薩 |
6 |
法自在菩薩 |
19 |
日照王(にっしょうおう)菩薩 |
7 |
子吼(ししく)菩薩 |
20 |
三昧王(さんまおう)菩薩 |
8 |
陀羅尼(だらに)菩薩 |
21 |
定自在王(じょうじさいおう)菩薩 |
9 |
虚空蔵(こくぞう)菩薩 |
22 |
大自在王菩薩 |
10 |
徳蔵菩薩 |
23 |
白象王菩薩 |
11 |
宝蔵菩薩 |
24 |
威徳王菩薩 |
12 |
金蔵(こんぞう)菩薩 |
25 |
無辺身菩薩 |
13 |
金剛蔵菩薩 |
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●釈迦三尊 |
脇侍は、一般には文殊菩薩(左)と普賢菩薩であるが、薬王・薬上ぼさつのものもある。 |
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●十三仏 |
故人の法要でその冥福を祈る供養の本尊とされる十三体の仏、菩薩、明王。十王に三王を加えたもの。 |
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1 |
不動明王 初七日 |
8 |
観音菩薩 百ヶ日 |
2 |
釈迦如来 二七日 |
9 |
勢至菩薩 一周忌 |
3 |
文殊菩薩 三七日 |
10 |
阿弥陀如来 三回忌 |
4 |
普賢菩薩 四七日 |
11 |
阿閃如来 七回忌 |
5 |
地蔵菩薩 五七日 |
12 |
大日如来 十三回忌 |
6 |
弥勒菩薩 六七日 |
13 |
虚空蔵菩薩 三十三回忌 |
7 |
薬師如来 七七日 |
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如来
如は悟り、来は到来で、仏教の悟りの境地に達した最高の仏の意で、尊称。
四世紀後半頃、あらゆる如来は一つのもので、様々な如来は釈迦如来の力を各々表したものだと考えられた。
出家して、布施、持戒、忍辱、精進、静慮、知恵の六種の菩薩行をおさめ、悟りを開いた釈迦の姿をモデルとしたもの。髪を結わず、アクセサリーをつけず、一枚の袈裟を着ただけの簡素なスタイルが特徴である。ただし、その後定められた法衣の制に従って、上半身には、左肩から斜めに肩衣(けんい)を垂らし、下半身には裙衣(くんい)をつけ、これらの上に大衣(だいえ)をまとわれた。
菩薩
梵語はボディサッタ。仏陀の次の位。自ら成道を目指すとともに衆生を教化救済するために修行中の王族の姿。仏陀になる前の太子時代の釈迦。
その後、釈迦以外に多くの如来や菩薩が考え出された。特に、大衆仏教では、仏陀になるまでの経過を重視したので菩薩が多くでき、それぞれの菩薩が独立して信仰されるようになった。それぞれ師事する如来があり、その修行の度合いによって段階がある。最上位の菩薩は、次の段階で成道して仏陀となり、仏の位を補うものという意で、補処(ふしょ)の菩薩と呼ばれる。
髪を高く結い、宝冠を戴き、上半身は裸形で下半身は裙衣をつけており、頭飾、胸飾、腕釧(わんせい)、臂釧(ひせん)、瓔珞(ようらく)などの装身具を付けて、一般的に柔和な表情をしている。姿勢は直立の他、片足に重心をかけ、一方を少し出した形が多い。坐像では、あぐらのように足を組み、片足を上にした半跏趺坐(はんかふざ)が多い。
仏陀
真理に目覚めたもの、という意味の一般的な呼称。世尊ともいう。
不動明王
梵名はアシャラナータ。大日如来が、一切の悪を降すため忿怒相になったとされる。火焔で汚れを焚き浄め、衆生を守る。
右手に剣、左手に索を持ち、頭髪を結び、左肩に垂髪を下げる。左は半眼、右は大きく見開く姿もある。牙を出し、背中から火焔をあげ岩座に乗っている。
釈迦如来
名はシャカムニ。釈迦族の聖者の意。
この如来の目的は、自分が悟りを開くだけでなく、悩み苦しむ人々を一人残らず悟りの境地へ導くことである。
密教では、説法教化を具現した仏とされ、胎蔵界の天鼓(てんく)雷音如来、金剛界の不空成就如来のことである。
大衆を導く説法姿で描かれる。福々しく端正な顔、堂々とした体であるが、一枚の袈裟を着るだけの簡素な姿である。
偉大な聖者釈迦の一生は、常人を超えた事蹟に富んでいる。輪廻(りんね)思想によって、釈迦の前世にふさわしい本生譚(ほんじょうたん)が考えられ、やがて久遠常往の仏、釈迦如来とされた。
一生の主な歴史を釈迦八相とする。
1、誕生仏
2、樹下思惟
3、苦行
4、出山
5、成道
6、説法
7、涅槃
8、金棺出現
文殊菩薩
梵名はマンジュリ。知恵を司る。
インドのバラモンの子。『維摩(ゆいま)経』では、維摩居士が衆生の苦悩を背負って病んだとき、シャカの代わりに誰も見舞いに行かなかったが、文殊は訪ねて、法門について論議した。
旧訳の『華厳経』には、南方に行っていたが、更に南方に行くように善財童子に勧めたとある。しかし、文殊の浄土はもともと東方だったと『菩薩瓔珞経』などにある。
旧訳『華厳経』に、「清涼山に往する」とおり、中国の山西省五台山を中心とする文殊の信仰は、日本にも七世紀後半伝えられた。平安時代から天台宗、五台宗で五台山巡礼を目指した。密教では両界曼荼羅にある。
多くは獅子に乗っていて、姿は僧、童子、宝冠をかぶったもの、白蓮座にのるもの、孔雀にのったものなどがある。右手に剣、左手に経を持つことが多い。
普賢菩薩
梵名はサマタバダラ。
理、行、徳を司る。東方より白象に乗って法華経の信者を護るために来るといわれる。法華経が女人往生を説いたので、女性の信仰をよく集めた。華厳経や天台宗の法華三昧にも出ている。
密教では金剛薩捶(さった)という仏と合体され、普賢金剛菩薩という名の仏になっている。
地蔵菩薩
梵名はクシュティガルバー。
釈迦入滅後から弥勒が出現するまで、五濁(ごしょく)の世に住して姿を比丘に現わし、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の衆生を教化救済する。人々を苦から脱させ、寿命を増すところから延命地蔵とも言われ、また、賽の河原で子供を救うので子安地蔵としても信仰される。
頭は僧形、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持っている。
弥勒(みろく)菩薩
梵名はマイトレヤ(慈から生じたもの)。
釈迦入滅後、5億6700万年の後に出現するといわれている仏で、それまでの長い間、兜率天で、いかにして衆生を救おうかと思惟している姿をあらわしている。実在の釈迦の弟子であり、菩薩では第一といわれる。
法相宗では鼻祖とされている。金峯山(きんぶせん)がミロク下生の地であるとされるので、ミロク出現まで残そうとする埋経(土中に経典、仏具を埋蔵する)の流行した時期もある。死後、兜率浄土に生まれ、ミロクの化尊に預かろうとする信仰は、阿弥陀信仰より古く行われ、貞慶(じょうけい)、明恵(みょうえ)らによって鎌倉時代に説かれ、ミロク来迎図や兜率天曼荼羅も作られたが、阿弥陀信仰ほど一般化されずに終わった。
右手を頬に当て、台座に腰を下ろし、右足を垂らしている。
薬師如来
薬師瑠璃光如来。衆生を病苦や暗黒、災いから救い、安楽を与え、衣食を満たすなどの現世の利益、十二の誓願をたてた。
シャカ信仰より後の七世紀後半から信仰された。681年、天武天皇の皇后の病気平癒のため、寺建立を発願し、697年、持統天皇のとき薬師寺に像を置いた。
古くは諸仏通相の奨であったが、左手に薬壷をを持つようになった。
単独に作られる場合もあるが、日光・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊として作られることが多い。
観音
梵語はアヴァロキティシュバラ。一般には聖観音をいう。旧訳では観世音、光世(こうぜ)音、唐代の訳では観自在。
「観音」は、世の音を観るの意。人々の声をはっきり見極める力を持ち、大慈大悲の徳があり、救いの求めに応じて三十三の姿になって現れ、教えを説いて苦難を救う。聖観音という名は、密教が生まれてから、十一面観音、千手観音などの変化(へんげ)観音菩薩が現れたので、区別するために、密教以前の根本の観音を示す。
一説に、西方極楽浄土に住し、阿弥陀如来の脇侍となり、教えを守るという。
宝冠に阿弥陀の化仏を頂き、天衣、裳をつけ、瓔珞を飾り、蓮華経にのる姿が多い。
勢至菩薩
観世音菩薩と並び、大きな力を持つ。智慧を表わす。行者は極楽往生を妨害する悪神悪鬼から護られるという。
姿は観音と似ているが、宝冠に宝瓶を置いている。独立して作られることは少ない。阿弥陀信仰とともに作られ始めた。
阿弥陀如来
梵名はアミダブバ。わが国では無量寺如来、不可思議光如来などと呼ばれる。この仏の光相が無量で、、十万にある国を隈なく照らし、また、この仏の寿命と、この仏の国に生まれた人の寿命が無量という意味である。また、分身を光仏として十二通りにもいうことがある。無量光、無辺光、無碍光、無対光、焔王光、清浄光、歓喜光、智恵光、不断光、難思光、無称光、超日月光で、いずれも仏の光、徳を讃めたたえたもの。
インド・中国・朝鮮を通じて日本に入ってきた。中国では、不老長寿の信仰と結びついて、北魏時代急速に広まった。わが国では、七世紀後半から信仰され、平安時代中頃、恵心僧都により力説された。
藤原時代には、世相の混乱が人々を不安にさせ、来世を救ってくれる仏が求められたので脚光を浴びた。鎌倉時代には、法然上人によって宗派となった。その浄土宗では、信じて名号を唱える者は功徳によって必ず極楽浄土に往生すると説かれ、その思想は親鸞や一遍に引継がれた。
阿弥陀信仰の特徴は、七仏(釈迦を含む)のような過去仏でも、彌勒仏のような未来仏でもなく、現在西方浄土に住するという点であり、四十八の発願をたて、大悲の救いをするとされる。
『無量寿経』では、インドの王族に生まれ、世自財仏に感化されて出家し、五劫の長い間思惟して四十八の願をたてたといわれる。五劫思惟の阿弥陀というのは、この修行中の姿である。
阿閃(あしゅく)如来
中国で後漢の時代、「阿閃仏国経」が漢訳された。それによると、大日如来のところで発願し、成仏して東方世界に住し、善快と名づけたその浄土で説法している。四方四仏としては東方の仏とされ、金剛界曼荼羅でも東方の日輪に描かれる。胎蔵界曼荼羅では、天鼓雷音如来と同一の本誓にあるとされる。
坐像では、左手で袈裟の端を持ち、右手は指を伸ばして地に付ける。金剛挙をした左手を臍前に置く場合もある。
大日如来
梵名はマハーヴァイロカーナ。密教では最高の仏とされる。その智慧の光明は日の神以上とされるので、大日如来という。
金剛界曼荼羅では、五仏宝冠を戴き、髪は肩に垂れる。瓔珞、環釧(かんせん)、天衣をつけた菩薩の形とする。蓮華座に坐し、智挙印を結ぶ。胎蔵界曼荼羅では、法界定印。
信仰は、空海の帰国とともに九世紀初めから。独立して作られることも多い。
金剛界五仏は、大日、阿閃、宝生、阿弥陀、不空成就を、胎蔵界五如来は、大日、宝幢、開敷華王、無量寿、天鼓雷音をいう。
虚空蔵菩薩
虚空蔵とは、智慧と慈悲の功徳が広大無辺で虚空のようだという意味。すべての妙法をもって衆生の求めに応じ、現在、未来の利益を得させるといわれる。また、鳥獣虫魚、あるいは諸天善神等に変身して種々の利益を授けるといわれる。
わが国には、718年、道慈律師が求聞持法(ぐもんじほう)をもつとして唐から招来した。善議、勤操(ごんぞう)、弘法大師も伝えた。弘法大師は、勤操から伝えられ、八世紀に真言密教を作った。
薬王菩薩/薬上菩薩
「観薬王薬上菩薩経」によると、もともと兄弟の長者で、兄の薬王菩薩(梵名バイシャ ジヤラージャ)は星宿光長者と号し、訶梨勒果(インドに産する樹果)と良薬を与えて衆生を救済する菩提心を発して菩薩と
なった。弟の薬上菩薩(梵名バイシャジヤサムドガダ)は雷光明長者と号し、兄に従って良薬を持し、衆生を救う大きな誓願 を立てて菩薩になった。仏は「2菩薩がいずれ未来において成仏し、兄に浄眼如来、弟は浄蔵如来となるであろう」と、弥勒
菩薩に告げたという。
珠宝王菩薩
衆宝王菩薩ともいう
月光菩薩
「薬師本願経」で、薬師如来の脇侍。姿は定まってないが、手に月輪を持つ。上半身は裸形、月光遍照の菩薩。仏を助け、薬師の薬師の正法宝蔵を守る。
三昧王菩薩
念仏の衆生を擁護する。
大自在王(天女)
インドのシバ神が仏教に入れられ、摩醯首羅天(まけいしゅらてん)=大自在天となった。密教で重視する護法神で、十二天の伊舎那天ともいわれる。
大威徳王(明王)
五大明王のひとつで,西方を守護する。六足尊とも。 |
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●だるま |
?~528年。梵名ボディダルマ。中国名、達磨。
南インド、バラモン国王の第三子。大乗仏教を志して内外の経典に通じた。釈迦の弟子に、頭蛇行中第一と讃えられる摩訶迦葉(まかかしょう)という人がいたが、この人から禅法を伝えられた。後、辺地の布教を志して、ベトナム経由で北魏時代の中国に行き、崇山(すうざん)少林寺に住した。慧可(けいか)、道育のニ僧が師事して、中国の禅宗の基礎を作った。中国へ行ったのは60歳のときであるが、まだ禅が理解されていないことを知ると、少林寺で壁に向って座禅を組み、「面壁九年」の伝説ができた。
岩上に坐り、頭から赤い衣を被った像は、南宋時代のものだが、平安時代、禅と共に日本にきて、山梨県向厳寺にある。日本のだるま像に影響を与え、雪舟など多くの人々に描かれている。
九年も坐っていたので足がなくなってしまったに違いない、という無邪気な発想から、日本では江戸時代にだるま人形ができた。赤い色は子供の疱瘡除けになると喜ばれた。底に重みをつければ倒しても起き上がり、玩具として親しまれる。「七転び八起き」は、処世哲学として当を得たものである。絵は商売繁盛の縁起物ともされる。 |
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●寒山拾得 |
唐の詩僧二人の名で、終生変わらない友情を持ち続けたといわれる。文殊、普賢の再生などとも伝えられる。両者を題材とした文芸、美術作品は多い。
寒 山
八~九世紀(唐)、伝説的人物。天台山の寒厳に隠棲し、樺の皮を冠とし、布裘(ふきゅう。布の衣)を着、木履をはいて、村落を歌唱して歩いた。
閭丘胤(りょぎゅういん)という人が、太守となり、評判をきいて訪れると、寒山は拾得と共に大笑し、饒舌を嘲った。寒厳に走って帰り、穴に入ったら、穴がふさがったという。詩は、禅宗で詩偈として読まれた。
拾 得(じゅっとく)
天台山国清寺の行者であったが、寒山と二人で国清寺に出入りし、衆僧の残食菜滓(さいし)を拾い、竹筒にたくわえて食糧とし、貧しい生活をした。時に寺中で叫声を発したり、唱歌諷誦(ふうしょう)したり、又廊下を漫歩したりして僧を困らせたという。
僧でも俗人でもなかったが、深く仏教の哲理に通じた。
寒山詩集
閭が、寒山の遺物として、樹や壁から詩三〇〇を集め、豊干(ふかん)と拾得(じゅっとく)の詩を加え、序を書いて出した。一説には、九~一〇世紀(唐末)にできた。
『三隠詩』又は『寒山詩集』といわれる。内容は多様で、民謡、自己の生涯、叙景詩、哲理詩、人の世の汚れを嘆じた箴言(しんげん)詩などがある。
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●牧童-十牛 |
禅僧で、仏道修行の初めから、悟道・見性の境地に至るまでの過程を、牧童が牛を尋ねるところから家に戻るところまでの十項目に例えて示したもの。
尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛(ぼくご)、騎牛帰家、忘年存人、人牛倶忘、返本還源(げんげん)、入てん垂手。
牛年という干支に限らず、家内和平の祈願の為、年中掛けられます。 |
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●御集印 |
四国八十八ヶ所 弘法大師にゆかりの深い、真言宗の寺々。四国を巡るように配置されている。この巡礼を特に遍路という。
発心の道場 ・・・ 1~23番
修業の道場 ・・・ 24~39番
菩提の道場 ・・・ 40~65番
涅槃の道場 ・・・ 66~88番
と、仏道修業の段階をたどるようになっている。1~88まで順に巡るのを「順打ち」、88~1と巡るのを「逆打ち」という。逆打ちをするのは、深刻な問題を抱え逆境にあえぐ人々だといわれるが、これを成し遂げたとき(結願)のご利益はひときわ大きいと信じられている。
30番の寺が二つあるのは、明治三年の神仏分離令によって阿弥陀如来像と大師像を別々に安置させたからである。
四国三十三ヶ所(近畿地方)
姫路の慶雲時の開祖、南室禅師が、江戸時代初め、四国八十八ヶ寺にならって、子女、老人でも容易に参詣できるよう、播磨を歩いた中から選んだ。本尊は観音。長谷寺、三井寺、竹生島の宝厳寺、谷汲山華厳寺(岐阜)が含まれる。
仏教の巡礼は江戸時代に最も盛んだった。観音霊場として坂東(関東)三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所があるが、他にも六十六部、浄土宗四十八寺詣などがある。 |
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●絵伝 |
祖師・高僧などの伝記を絵で表現したもので、文盲も教えを受けられた。 |
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●川越名号 |
親鸞上人が流されて越後にすまれたとき、真宗とともに伝えられた七不思議とされるものの一つである。
直江・小俣川で、信徒が後を追い、「何か書き残してください」と頼んだ。上人が筆をもって「南無阿弥陀仏」と空に書かれると、川向こうで信徒の掲げた紙に字が書き上げられたという。亡くなった人が三途の川を渡る際、名号を唱えれば、橋がかかって無事に浄土に行けるという教えを喩えたものといわれる。 |
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