『古尊宿語録』趙州真際禪師語録之餘に「師問座主。所習何業。云。講維摩經。師云。維摩經歩歩是道場。座主在什麼處。主無對。」(師、座主に問う。所習何業。云く、維摩経を講ず。師云く、維摩経、歩歩是れ道場なるに、座主、什麼の処に在る。主、対えるなし。)とある。『明覺禪師語録』に「師問云。維摩老云。歩歩是道場。這裏何似山裏。衆下語師皆不諾。師代云。只恐和尚不肯。」(師、問うて云く、維摩老云く、歩歩是れ道場。這裏は山裏に何れぞ。衆、語を下すも、師、皆な諾さず。師、代わりて云く、ただ和尚肯せざるを恐れるのみ。)とある。這裏(はうり);この場所。『維摩經』に「直心是道場無虚假故。發行是道場能〓(辛方辛)事故。深心是道場益功故。菩提心是道場無錯謬故。布施是道場不望報故。(下略)」(直心は是れ道場、虚仮なき故に。発行は是れ道場、能く事故を弁ず故に。深心は是れ道場、功を益する故に。菩提心は是れ道場、錯謬なき故に。布施は是れ道場、報を望まざる故に。)云々とある。至るところすべて修行の場であるとの意。
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正直な心、素直な心で己事究明(己の本性をトコトン知ろうとすること)にあたれば、そこが何処であっても『道場』、即ち修行の場であるという意味
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素直な心さえあればどこでも学びの場
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