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神の掛け軸
●蓬莱山
中国の神仙思想から生まれた伝説で、当方の海上にある島の、仙人が住むという霊山。
蓬莱島は、遠くからは雲に見え、近づくと海の下になり、着いたと思うと風が吹いて遠ざかってしまうという。金銀で作られた宮殿があるといわれる。秦の始皇帝は、この島へ不老不死の薬を探しに行かせたという。
主に結納の時または正月、その他のお祝いの時に掛けられる。日本海側では「日の出と海波」が代用されることがある。
●天照皇大神
「天照(あまつ)る」は、そらで照るの敬語、天下をお治めになるの意。
日本神話の最高神で、太陽を象徴する女体神。大和朝廷の祖神なので、皇室の祖先とされる。
イザナギ、イザナミのニ神の間に生まれた長女で、神々の国高天原(たかまがはら)を治めていた。弟の一人は夜之食国(よるのおすくに)を治め、もう一人の弟はスサノオの命。孫のニニギの命は、天降(あまくだ)って、大和朝廷の祖先となった。
名は『日本書紀』では天照大神、『古事記』では天照大御神。伊勢神宮に祭られてからは、神明ともいわれた。各地の神明宮、神明社は分家の神社である。
●七福神
室町末頃、中国の思想と古来の俗信と仏教から生まれたものとみられる。神には二つの対立する面-「たたる」と「守護する」-が一つになった性格があると考えられていた。
幸運は人知を超えて神が人に与えてくれるものだと思われている。貧乏人が大金持ちになったりすることは、ある霊的な力が加わることによるというのが、福の神の存在を強くしている。
七福は『仁王経』の「七難即滅七福即生」にあやかったとされるが、七を聖数とする意識はかなり強かったからでもある。十九世紀初頭、七社めぐりがはやり出し、七福神詣では特に流行した。このことは、大都市に定着したことを物語っている。
宝船
七福神と金銀七宝、さんご、めのう、真珠などの宝物を満載する。
江戸時代、瑞相として庶民に喜ばれ、多く描かれた。のち、正月二日の初夢に用いられ、神社、寺で板行するようになった。
大黒天
インドの神。梵名はマハー=カーラ(偉大な黒い者)。もともとはシヴァの化身として暗黒と戦い、破壊を司る。
仏教に取り入れられた当時は、毘盧遮那(びるしゃな)仏の化身で、鬼神を降伏させる武神だった。現在残っている最古の像は、福岡県の観世音寺にある十、十一世紀作のものだが、表情は恐い。
日本には最澄がもたらしたとも、伝行大師だとも言われる。平安時代から施福神として寺院の厨房に祀られた。その頃の大黒天は、中国では金の袋を持った台所の神となって、当初のものよりずっと温和になっていた。
三宝(仏・法・僧)を守護し、飲食を満たす神の詰まった大きな袋をかつぎ、打ち出の小槌を持って、米俵の上に座っている。日本神話の大国主の命ではない。
恵比寿
「夷(えびす)」の字から、もとは関東から北海道までの海辺の異民族の神だったらしい。そのため、葦舟にのせて海に流されてから海の幸の神となった。
鎌倉時代から、東夷(あずまえびす)と呼ばれた鎌倉武士によって、市場の神として信仰された。中世から江戸時代に、商業の発展と共に信仰が盛んになった。
風折烏帽子(かざぼりえぼし)に狩衣(かりぎぬ)・指貫(さしぬき)姿で、左に鯛をかかえている。
一説には、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)とされるが、釣り好きだったところから来ているのであろう。また、事代主(ことしろぬしの)命とする説もあるが、神話で出雲の三穂崎で釣りをしたところからできた説であろう。
毘沙門天
四天王の一つ、多聞(たもん)天。鎧・兜を着け、手に矛を持つ。仏法を守護し、敵をくじくが、福徳富貴の神とも考えられている。梵名はヴァイシュラマナ(広く遠く名の聞こえた者)。
四天王の場合には多聞天と呼ばれるが、第一の勢力を持って、他の三天王を従える。独立して信仰される場合は、毘沙門天と呼ばれる。
兜跋(とばつ)毘沙門天という異形の像があり、左手に宝塔を捧げ、右手に戟(げき)を持ち、ニ鬼を従えた地天の両手の上に立つ。
弁才天
「財」は誤り。妙音天とも呼ぶ美しい女神。梵名はサラスヴァティー(水に富む者)で、もとはインドの大河の神。インドのブラーフマナ神話の中で、学問、技芸、弁舌、知恵の神となった。ヒンズー教では、ブラフマン神の妻。
仏教に取り入れられ、長寿と福を授け、音楽と弁才を司り、財宝を蓄え、鎌倉時代以降作られた。有名な像は、江ノ島、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮にある。鎌倉の銭洗い弁天など、水にゆかりのある信仰が多く、祠も水辺に多いのは、古代インドの河川神に由来するものである。古くは八臂だったが、後にニ臂になり、琵琶を手にするようになった。
天災地変を除滅する天部とされた。
福禄寿
もとは中国の道教の神。南極星の化身といわれる。福と禄(天から与えられる幸運)と寿を司る。あかざの杖を持ち、杖に経巻を結び、めでたい鶴と亀を従える。背が低く、頭が長いので、せいぜい四頭身位。ひげも長い。
鹿と霊芝と蝙蝠とをかいて福禄寿とする。鹿は音禄、蝠は福、令嗣は寿に通じる。令嗣の代わりに寿老人を描いたものもある。いずれも人世の至幸を数うるものにて、禄の尊ばれたのも封建時代の習わし。
寿老人
もとは中国の道教の神。長寿と知恵を司る。頭が長く、おかざの杖をつき、鹿を連れている。寿星の化身というのは星辰信仰に基づく。1500才の玄鹿を連れている。白髪が長く垂れ、身の丈三尺。
福禄寿と同神とする説もある。その場合は、代わりに吉祥天(毘沙門天の妃)を入れる。
布袋
中国の後梁時代、明州奉化県に生まれた。禅僧だったが、生活道具を入れた大きな袋をかついで乞うて歩いた。名は契此(かいし)。
徳は高く、占いで吉祥をピタリと当て、雪中に寝ても体が濡れなかった。いつも半裸でいて、太って腹が大きく、袋をかついでいる姿から、長汀子(ちょうていし)とか、布袋師と呼ばれた。物事にこだわらない大らか人柄が人々から尊敬を受けた。弥勒の化身と敬われ、日本に禅宗と共にもたらされた。
●鐘馗(しょうき)
『事物起源』によると、唐の玄宗皇帝が病臥した時、夢に一小鬼が現れ、香のうを盗んだり、玉笛を吹いてさわいだ。それを叱責すると大鬼が出てきて小鬼を捕らえ、目をえぐり、食い殺した。帝が何者かと聞くと、「終南山の進士、鐘馗」と答えたが、階段に触れて死んだ。皇帝が手厚く葬ってやると、鐘馗は「今後天下の妖魔を払いのけよう」と誓った。帝が夢から覚めると病気はすっかり回復していたという。帝は画家の呉道子に命じて、夢に見た姿を描かせた。それが鐘馗像だという。巨眼でひげが多く、いかめしい顔をして剣を持ち、黒い衣冠姿である。
中国では歳末に門戸に貼り、魔除けとした。日本でも五月の節句にこの像を飾って魔除けとする。
掛軸は虎と同様に無病息災を祈って年中掛けられます。
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