掛け軸/掛軸/禅語「神光照天地(しんこう てんちをてらす)」
『碧巌録』九六則「趙州三轉語」の「偈」に「泥佛不渡水。神光照天地。立雪如未休。何人不雕偽。」(泥仏水を渡らず。神光天地を照らす。雪に立って未だ休せずんば、何人か雕偽せざらん。)、その「評唱」に「泥佛不渡水。神光照天地。這一句頌分明了。且道為什麼卻引神光。二祖初生時。神光燭室亙於霄漢。又一夕神人現。謂二祖曰。何久于此。汝當得道時至。宜即南之。二祖以神遇遂名神光。」(泥仏水を渡らず。神光天地を照らす。この一句に頌して分明にし了る。しばらく道え、什麼としてか卻って神光を引く。二祖初め生るヽ時、神光室を燭して、霄漢にわたる。また一夕神人現じて。二祖に謂って曰く。なんぞ此に久しき。汝まさに道を得べき時いたれり。宜しく即ち南に之くべしと。二祖神遇を以て、遂に神光と名づく。)とある。『祖庭事苑』に「神光 二祖生時、神光照室、故舊名神光。後達摩改名慧可。」とあり、「神光」とは禅の開祖達磨大師の後を継ぎ二祖とされる「慧可(えか)」のこと。慧可(487~593)は初め名を「光光」といい、40歳の時、神人が現れ南方に行けとのお告げがあり「神光」と名を改め、南方で達磨に相見する。そのとき入門を請うが許されず、片臂を切って決意を示し、許され「慧可」の名をもらう。「泥佛不渡水。神光照天地。」は、土で作った仏は水に溶けてしまうが、達磨の法を伝えた神光によって世の中が明るく照らされている、というところか。------------------------------------------------------------------------------------------------
神光とは、中国禅宗の第二祖慧可(だいにそえか)の本名で、慧可が初祖達磨の法を嗣いだお陰で禅が栄え、その徳が天地を照らし出したと言う意味。
また単に、神の威徳の光が天地を照らしている解してもよい。
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人は目に見えるものを信じたり頼ったりする傾向がある。しかし人間にとって真に大切なことがらは決して視覚でとられることは出来ない。古来、仏教ではこの世には眼に見えない「光」が満ちていると説く。その見えない「光」は空間や時間の隔たりを超越してこの世のすべてを照らしている。
自分自身の心を落ち着いてどこまでも深く見つめてみるがいい。きっとその「光」を感じることができるだろう。
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