掛け軸/掛軸/禅語「明月上孤峰(めいげつ こほうに のぼる)」
『續燈録』に「上堂。問。如何是維摩一默。師云。寒山訪拾得。僧曰。恁麼則入不二之門。師云。嘘。復云。維摩大士去何從。千古今人望莫窮。不二法門休更問。夜來明月上孤峰。」(上堂。問う、如何なるか是れ維摩の一黙。師云く、寒山、拾得を訪ねる。僧曰く、恁麼ならば則ち不二の門に入る。師云く、嘘。復た云う、維摩大士、何に従いてか去る。千古今人、窮なからんを望む。不二の法門、更に問うを休めよ。夜来たりて明月孤峰に上る。)とある。不二法門(ふにほうもん);『維摩經』入不二法門品第九に「爾時維摩詰。謂衆菩薩言。諸仁者。云何菩薩入不二法門。各隨所樂説之。」(その時に維摩詰、衆菩薩に謂って言く、諸の仁者よ、いかが菩薩の不二法門に入る。おのおの所楽に隨いて之を説く。)とあり、諸菩薩が各々所説を述べ、最後に「文殊師利曰。如我意者。於一切法無言無説。無示無識離諸問答是為入不二法門於是文殊師利。問維摩詰。我等各自説已。仁者當説。何等是菩薩入不二法門。時維摩詰默然無言。文殊師利歎曰。善哉善哉。乃至無有文字語言。是真入不二法門。説是入不二法門品時。於此衆中五千菩薩。皆入不二法門得無生法忍。」(文殊師利曰く、我が意の如きは、一切の法は言なく説なし、示なく識なし、諸の問答を離る、是れ不二の法門に入るを為す。是に於いて文殊師利、維摩詰に問う、我等各自已を説く、仁者まさに説け、何等是れ菩薩の不二法門に入る。時に維摩詰、默然無言。文殊師利、歎じて曰く、善きかな、善きかな、乃至、文字語言あること無し。これ真に不二の法門に入る。これ不二の法門に入る品を説く時、此に於いて衆中の五千の菩薩、皆、不二の法門に入り無生法忍を得る。)とあり、文殊師利(文殊菩薩)が、全てのものは、言葉もなく、説明もなく、示すこともなく、識ることもなく、もろのろの問答を離れている、と言葉をもって説いたのに対し、維摩は、黙然無言で答えた。これを「維摩の一黙」という。不二(ふに);対立していて二元的に見えるものも、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるということ。『聯燈會要』に「僧問。如何是不遷義。師云。落花隨流水。明月上孤峰。」(僧問う、如何なるか是れ不遷の義。師云く、落花、流水に随い、明月、孤峰に上る。)とある。禅語の書を先生や住職に書いていただき、それを表装して掛軸にできます。
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