掛け軸/掛軸/禅語にまつわる人物「慧可(えか)」
中国禅宗の第2祖。慧可(487~593)は、中国南北朝時代の禅僧。正宗普覚大師。初祖の菩提達磨(ぼだいだるま)に師事。禅宗の第二祖とされる。『祖堂集』に「第二十九祖師慧可禪師者、是武牢人也。姫氏。父寂、初無其子、共室念言、我今至善家而無慧子、深自嘆羨、何聖加衛。時後魏第六主孝文帝永宜十五年正月一日、夜現光明、遍於一宅。因茲有孕、産子、名曰光光。年十五、九經通誦。至年三十、往龍門香山寺、事寶靜禪師、常修定慧。既出家已、至東京永和寺具戒。年三十二、卻歩香山、侍省尊長。又經八載、忽於夜靜見一神人而謂光曰、當欲受果、何於此住、不南往乎而近於道。本名曰光光、因見神現故、號為神光。」(第二十九祖師慧可禅師なる者は是れ武牢の人なり。姫氏。父寂して初め其の子なし。共室念言すらく、我れ今善家に至りて而も慧子なく、深く自ら嘆羨す、何の聖か加衛すると。時に後魏第六主孝文帝永宜十五年正月一日に、夜、光明を現じて、一宅に遍し。茲れに因りて孕ありて子を産み、名づけて光光と曰う。年十五にして九経通誦す。年三十に至り、龍門香山寺に往し、宝静禅師に事え、常に定慧を修す。既に出家し已って、東京の永和寺に至りて具戒せり。年三十二にして却って香山を歩し、尊長に侍省す。又た八載を経て、忽ち夜静に於いて一神人を見る。而して光に謂いて曰く、当に受果せんと欲すべきに、何ぞ此に於いて住まいて、南往してか而して道に近づかざるやと。本と名づけて光光と曰うも、神の現わるるを見るに因るが故に号して神光と為せり。)とあり、俗姓は姫氏(きし)。初名は光光。洛陽武牢(河南省栄陽郡)生れで、30歳で香山で出家した。各地を遊方し、香山に戻り参禅すること八年、疑念を解明することが出来ず、40歳で神人に南へ行けというお告げを得て「神光」と号し、南に行き、嵩山の少林寺で面壁していた達磨に弟子入りを請うが認められず、自らの腕を切り落とし(慧可断臂、雪中断臂)、入門を許され、達磨より慧可の名を与えられる。『續高僧傳』には「遭賊斫臂」とあり、賊に遭って臂を斬られたとする。禅語の書を先生や住職に書いていただき、それを表装して掛軸にできます。
書いていただける書家の先生、住職の方は諸事情により「
ホームページに表示できるのは数名」なのですが、 実際はもっと沢山いらっしゃいます。
全て国内生産のオーダーメイドで掛軸や和額を作ることができます。
大好きな、または人生のテーマにしている禅語の掛軸や和額が欲しいけど・・・
・「リサーチをかけたが、好きな言葉の掛軸も和額も存在しない」
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・「サイズが大きすぎる(または床の間がないので掛けれない)」※小さい額か軸が欲しい
・「見つけた物の書よりも、ダイナミックな書き方いい、または静かな書き方がいい」
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掛軸倶楽部では「一期一会」「円相」など、この先生に書いてもらいたい、
またはその言葉の掛軸や和額が欲しいというご希望にお応えできたら・・・と思っております。
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