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掛け軸/掛軸/禅語「至道無難(しどうぶなん)」

『信心銘』に「至道無難、唯嫌揀擇、但莫憎愛、洞然明白、毫釐有差、天地懸隔、欲得現前、莫存順逆。」(道に至るに難きことなし、ただ揀択を嫌う、ただ愛憎なければ、洞然として明白なり、毫釐も差あれば、天地懸に隔たる、現前を得んと欲せば、順逆を存するなかれ。)とある。揀擇(けんたく);比較選択の分別。毫釐(ごうもう);わずか 。道に至るに難しいことはない、ただ選り好みするのを嫌うのである。憎むとか愛するとかがなければ、すっきりとあきらかである。わずかの差でもあれば、天地のようにはるかに隔っているのだ。眼の前のことを得たいと思うのなら順序などがあってはならない。『碧巌録』第二則「趙州至道無難」に「舉趙州示衆云。至道無難。唯嫌揀擇。纔有語言。是揀擇是明白。老僧不在明白裏。是汝還護惜也無。時有僧問。既不在明白裏。護惜箇什麼。州云。我亦不知。僧云。和尚既不知。為什麼卻道不在明白裏。州云。問事即得。禮拜了退。」(挙す。趙州衆に示して云く、至道無難。唯嫌揀択。わずかに語言あれば、是れ揀択、是れ明白。老僧は明白の裏に在らず。是れ汝還って護惜すやまた無しや。時に僧有り、問う、既に明白の裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん。州云く、我も亦た知らず。僧云く、和尚既に知らずんば、什麼としてか卻って明白の裏に在らずと道う。州云く、事を問うことは即ち得たり。礼拝し了って退け。)とある。


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至道無難

生年: 慶長8     (1603)
没年: 延宝4.8.19     (1676.9.26)
江戸前期の臨済宗の僧。「ぶなん」ともいう。美濃(岐阜県)生まれ。俗姓は相川。生家が関ケ原の本陣宿屋で,父が帰依した愚堂東寔が投宿した際に指導を受け,「至道無難」の公案により徹悟し,法嗣となる。出家した年には40歳前後,47歳と諸説ある。江戸に出て麻布に東北庵を開き至道庵と号し,延宝2(1674)年門人が建立した渋谷の東北寺の開山に招かれたが断り,小石川に移した。2年後に示寂。徳川家綱の信頼を得たが名刹を避けた。出家禅には批判的で,庶民的な庵主禅を説いた。法嗣は白隠慧鶴の師道鏡慧端。<著作>『即心記』『自性記』<参考文献>『続日本高僧伝』8巻    

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小ネタ

かの道鏡慧端(どうきょう えたん、寛永19年10月22日〈1642年12月13日〉 - 享保6年10月6日〈1721年11月24日〉)も19歳のとき、松平忠倶の参勤交代に随伴して江戸に赴き、江戸麻布東北庵の至道無難のもとで出家した。

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